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■メッセージ

 【2026年】

・3月8日(日)  イザヤ書48章1―8節
           テモテへの手紙二 1章8-14節

 ・イザヤ書は、神の民の頑なさを暴きながらも、神の変わらぬ真実と憐れみを示し、
 テモテへの手紙は、弱さを抱える者に対して、神の力によって福音を担うよう励まします。
 私たちもまた、神の恵みによって救われ、神の恵みによって立ち、神の恵みによって歩む者です。
 主は私たちの弱さを知りつつ、なお語り、導き、使命を与えてくださいます。


・3月1日(日)  エレミヤ書2章13節
           エフェソの信徒への手紙6章10―20節

 ・エレミヤ書は、主から離れた民への痛切な呼びかけであり、
 エフェソの信徒への手紙は戦いの中で弱る教会への励ましでした。
 しかしその中心にあるのは、「主に立ち返れ」「主に依り頼め」というメッセージです。
 破れた水がめではなく、主の泉に戻りましょう。
 私たちが戦いの中で弱っているなら、自分の力ではなく、主の力に依り頼みましょう。


・2月22日(日)  エレミヤ書31章31-34節
           ヘブライ人への手紙2章10―18節

 ・モーセを通して与えられた律法に基づく契約は「古い契約」であり、
 エレミヤ書が語る「新しい契約」は、イエス・キリストによって実現したと告げます。
 特に、ヘブライ人への手紙2章10-18節は、神の御子が人となられ、苦しみを通って救いを
 成し遂げられた意味を深く語っています。


・2月15日(日)  ヨナ書1章9節
           ヘブライ人への手紙2章1―4節

 ・「救い」という言葉は、教会に長くいるほど耳慣れたものになります。
 しかし、聖書が語る救いは、決して軽く扱われてよいものではありません。
 ヘブライ人への手紙2章3節は、「私たちは、こんなに大きな救いをないがしろにしたら、
 どうして逃れられるでしょうか。」と記します。
 この問いは、単なる警告ではなく、神がどれほど真剣に私たちを救おうとしておられるかを
 示す言葉となっています。


・2月8日(日)  列王記下4章30節
          ヤコブの手紙 5章13―16節

 ・信仰生活を歩む中で、避けて通れないものがあります。
 それは「苦しみ」、「悲しみ」、「病」、「喪失」といった、人生の暗闇の瞬間です。
 信仰者であっても、祈りがすぐに聞かれない時があります。
 神の沈黙に戸惑い、心が折れそうになる時があります。
 列王記下4章30節とヤコブの手紙5章13-16節は、時代も背景も異なりますが、
 共通して「執り成しの祈り」「癒しの恵み」「主にしがみつく信仰」を語っています。


・2月1日(日)  箴言2章1-9節
          コリントの信徒への手紙一 2章6―10節

 ・成功、効率、利益、評価。 これらは追い求めることは、悪いものでは
 ありません。
 しかし、それが人生の中心になると、神の知恵を見失ってしまいます。
 十字架のキリストを人生の中心に据えるとき、私たちは真の知恵に導かれます。
 祈り、聖書を読み、心を開くとき、神の知恵が私たちの内に満ちていきます。


・1月25日(日)  申命記30章11-15節
           ペトロの手紙一 1章3―9節

 ・申命記のモーセは、 「いのちを選びなさい」 と語り、
 ペトロは、「生ける望みが与えられている」 と語りました。
 今日、神は私たちに同じ招きを与えておられます。
 「いのちを選びなさい。 私はあなたと共にいる。
 あなたの希望は生きている。」
 私たちがこの招きに応え、 日々の歩みの中で神のいのちを選び取り、
  キリストの復活に根ざした希望をもって生きる者となることが大切です。


・1月18日(日)  エレミヤ書1章4-5節、
           マルコによる福音書 1章14-20節

 ・ペテロたちは特別な宗教的儀式の中でイエスから、召されたのでは
 ありません。 彼らは「いつもの仕事」をしている最中でした。
 神の呼びかけは、礼拝の中だけでなく、祈りの時間だけでなく、
 日常の働き、家庭、学校、職場そのすべての場所に響きます。
 私たちはしばしば、「もっと準備ができてから」「もっと信仰が強く
 なってから」と考えます。 しかし神は、今の私たちに語りかけられる。
 弱さを抱えたまま、迷いを抱えたまま、「そのままのあなたに語る」
 と言われるのです。


・1月5日(日)  ゼカリヤ書8章3節、
          ルカによる福音書 2章41-52節

 「父の家」―主イエスは神殿のことをそう呼びました。
 イエスにとって神殿は単なる宗教施設ではなく、「父の家」でした。
 そして、父の家にとどまり、父の言葉を聞き、父の御心を求めることが、
 イエスにとって最も自然な行いでもあり、喜びでもありました。
 私たちもまた、主イエスのように「父の家」にとどまり、
 神の御心を求める者でありたいと思います


 【2025年】

・12月28日(日) イザヤ書49章7―13節、
           マタイによる福音書 2章1―12節

 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と、
 異邦の学者であり、イスラエルの宗教的伝統とは無縁の人々である
 博士たちはヘロデ王に尋ねます。彼らは天に現れたしるしを読み取り、
 真の王を求めて遠くの国からはるばるやって来たのです。
 彼らは、主なる神の救いがイスラエルの枠を越えて、
 世界へ広がることを象徴する存在です。


・12月21日(日) 詩編85編9―14節、
           ルカによる福音書 2章8―20節

 クリスマス、おめでとうございます。
 神の平和と救いが「遠い理想」ではなく、「今ここに」訪れている恵みに感謝して、
 私たちも羊飼いたちのように、与えられた恵みを素直に受け取り、
 喜びをもって世界に伝える者となりましょう。


・12月14日(日) イザヤ書40章3節、
           ペテロの手紙二 3章8-14節

 イザヤ書40章3節は、バプテスマのヨハネの出現を預言しています。
 ヨハネは荒野で叫び、人々に悔い改めを呼びかけ、主イエスを迎える準備を
 させました。
 このみ言葉は、主イエスを迎えるための心の準備を語っているのです。
 これは2000年前の話だけではなく、今日も、主イエスは私たちのところに
 来ようとしておられます。


・12月7日(日) エレミヤ書36章1-10節、
          テモテへの手紙二 3章14-17節

 エレミヤの時代、神の言葉は巻物に記され、民に読まれました。
 王はそれを拒み、国は滅びへと向かいました。
 一方、パウロはテモテに御言葉に堅く立つよう勧め、御言葉が人を完全にする
 力を証ししました。今日の私たちも同じ選択を迫られています。
 御言葉を受け入れるか、拒むか。御言葉に従うか、無視するか。
 神の言葉は生きており、私たちを救いへと導きます。
 だからこそ、私たちは御言葉に堅く立ち、日々の生活に適用し、神の器として
 整えられていきたいと思います。


・11月30日(日) イザヤ書51章4-11節、
           マルコによる福音書13章35-37節

 私たちの生きる現代もまた、不安と混乱に満ちています。
 戦争や災害、社会の分断、個人の孤独。まるで捕囚の民のように、
 未来が見えないと感じることがあります。さらに、終末の弟子たちのように、
 いつ来るか分からない試練に怯えることもあります。
 そんな時、私たちは「神の救いは近い」という約束を思い出して、
 その救いを待ち望みながら、信仰を保ち続けることが求められています。


・11月16日(日) 出エジプト記6章2-13節、
           ヘブライ人への手紙11章27節

 私たちは主なる神の約束を信じて歩む者です。
 モーセのように、目に見えない方を見ているようにして、
 信仰により、困難を乗り越えるべきです。
 主なる神は今も、私たちに、「わたしは主である」と語りかけておられます。
 その呼びかけに真摯に耳を傾け、応答する者でありたいと願います。


・11月9日(日) ヤコブの手紙 2章21-22節

 私たちの成長過程において、両親、学校の教師たちによる励まし、導きがあり、
 さらに信仰の先輩たちとの出会いから、多くのことを学びました。
 そして、神を信じることが出来るようになった私たちは、神から与えられた
 喜びである信仰を次の世代へとしっかりと継承していくことが大切です。


・10月26日(日) 創世記2章 4―9節

 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、命の息
 (ルーアッハ)を吹き込まれました。
 人の助け手として、動物たちを、与えて、共に生きるものとして
 備えてくださいました。
 主なる神の創造の秩序の中に私たちは生かされていることを感謝して
 日々、生活することが大切です。


・10月19日(日) ヨハネの黙示録 7章9-17 節

 天の国は、見えるものにだけとらわれずに、見えないものをも信じた者、
 すなわち、神の約束を信じて歩み続けた者だけが到達できる場所です。
 天の国は、力のある者ではなく、誰かのために涙を流した者、
 神への信仰をいかなる時にも捨てなかった者のためにあるのです。


・10月12日(日) テサロニケの信徒への手紙二 3章6-15節

 パウロは誰にも負担をかけまいと、日夜労苦し努力して働き続けました。
 パウロが私たちに勧める姿とは、労苦し、努力して働く姿です。
 何を一生懸命にやるのかは一人一人に与えられた課題であり、
 それに全力で取り組むことが大切です。
 神に感謝しながら、毎日を一生懸命に生きることが、
 神のみ心に適う生活と言えます。