・12月14日(日) イザヤ書40章3節、
ペテロの手紙二 3章8-14節
イザヤ書40章3節は、バプテスマのヨハネの出現を預言しています。
ヨハネは荒野で叫び、人々に悔い改めを呼びかけ、主イエスを迎える準備を
させました。
このみ言葉は、主イエスを迎えるための心の準備を語っているのです。
これは2000年前の話だけではなく、今日も、主イエスは私たちのところに
来ようとしておられます。
・12月7日(日) エレミヤ書36章1-10節、
テモテへの手紙二 3章14-17節
エレミヤの時代、神の言葉は巻物に記され、民に読まれました。
王はそれを拒み、国は滅びへと向かいました。
一方、パウロはテモテに御言葉に堅く立つよう勧め、御言葉が人を完全にする
力を証ししました。今日の私たちも同じ選択を迫られています。
御言葉を受け入れるか、拒むか。御言葉に従うか、無視するか。
神の言葉は生きており、私たちを救いへと導きます。
だからこそ、私たちは御言葉に堅く立ち、日々の生活に適用し、神の器として
整えられていきたいと思います。
・11月30日(日) イザヤ書51章4-11節、
マルコによる福音書13章35-37節
私たちの生きる現代もまた、不安と混乱に満ちています。
戦争や災害、社会の分断、個人の孤独。まるで捕囚の民のように、
未来が見えないと感じることがあります。さらに、終末の弟子たちのように、
いつ来るか分からない試練に怯えることもあります。
そんな時、私たちは「神の救いは近い」という約束を思い出して、
その救いを待ち望みながら、信仰を保ち続けることが求められています。
・11月16日(日) 出エジプト記6章2-13節、
ヘブライ人への手紙11章27節
私たちは主なる神の約束を信じて歩む者です。
モーセのように、目に見えない方を見ているようにして、
信仰により、困難を乗り越えるべきです。
主なる神は今も、私たちに、「わたしは主である」と語りかけておられます。
その呼びかけに真摯に耳を傾け、応答する者でありたいと願います。
・11月9日(日) ヤコブの手紙 2章21-22節
私たちの成長過程において、両親、学校の教師たちによる励まし、導きがあり、
さらに信仰の先輩たちとの出会いから、多くのことを学びました。
そして、神を信じることが出来るようになった私たちは、神から与えられた
喜びである信仰を次の世代へとしっかりと継承していくことが大切です。
・10月26日(日) 創世記2章 4―9節
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、命の息
(ルーアッハ)を吹き込まれました。
人の助け手として、動物たちを、与えて、共に生きるものとして
備えてくださいました。
主なる神の創造の秩序の中に私たちは生かされていることを感謝して
日々、生活することが大切です。
・10月19日(日) ヨハネの黙示録 7章9-17 節
天の国は、見えるものにだけとらわれずに、見えないものをも信じた者、
すなわち、神の約束を信じて歩み続けた者だけが到達できる場所です。
天の国は、力のある者ではなく、誰かのために涙を流した者、
神への信仰をいかなる時にも捨てなかった者のためにあるのです。
・10月12日(日) テサロニケの信徒への手紙二 3章6-15節
パウロは誰にも負担をかけまいと、日夜労苦し努力して働き続けました。
パウロが私たちに勧める姿とは、労苦し、努力して働く姿です。
何を一生懸命にやるのかは一人一人に与えられた課題であり、
それに全力で取り組むことが大切です。
神に感謝しながら、毎日を一生懸命に生きることが、
神のみ心に適う生活と言えます。